菱谷医院は、私(三代目 菱谷好洋)の祖父である菱谷榮一が昭和21年9月に和歌山県那智郡で診療所を開業したことから始まります。榮一は昭和17年、大学卒業後に海軍軍医として従軍し、南方の島で終戦を迎えました。家族には「推定死亡」との連絡が届くほどの窮地を乗り越え、戦後、医療制度も物資も十分でない中で困っている人々を支えたいという思いから診療を開始しました。
その後、昭和38年6月1日に現在の地である豊中市上野坂へと移転しました。移転時の書類によれば、「小児科・内科」を標榜しており、厳格な印象の榮一ですが地域の子どもたちや住民に愛された姿が想像されます。医療の充実に尽力した榮一の功績は、現在の医院の礎となっています。
昭和63年9月、榮一が70歳で体調を崩したことをきっかけに、父である菱谷好高が二代目院長に就任しました。大阪医科大学出身の好高にとって、地元での医師仲間が少ない中でのスタートは不安も大きかったといいます。しかし、地域の皆様の支えにより、平成の時代を無事に歩み続けることができました。好高は、「患者さんとの対話を通じて多くのことを学び、成長させてもらった」と語り、感謝の思いを抱き続けています。
令和4年5月、私、菱谷好洋が菱谷医院で診療を開始しました。当初は週1回、土曜午前診のみでしたが、令和5年12月から火曜夜診、令和6年4月からは月曜夜診も担当するようになりました。診療を通じて、地域における菱谷医院の重要性と、自分が担うべき責任の重さを日々実感しています。そしてそれらが私の天職であることも。とはいえ、父の好高はまだまだ気力十分であり、私が三代目として正式に継ぐのはもう少し先になりそうです。
菱谷医院は創業以来、地域の皆様に支えられながら成長を続けてきました。これからもその歴史を大切にし、地域医療に貢献しながら次の世代へと歩みをつなげていきます。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
副院長 菱谷好洋